〔もし、あの時ISOの仕組みが機能していたら?〕
まだ詳細な事情・事故原因も明らかではないが、1月早々の三重県のハイテク工場での事故のニュースが刻々と報じられるにつけ、何十回・何百回、あるいは何万回と繰り返されていることの教訓が、いまだに生かされていない(再発防止、水平展開)ことはもちろんのことだが、「ISOの仕組み」から考えるに、実に審査や内部監査の無力さを痛感する(ISO認証取得していた場合ですが。取得状況は未確認)。
「手順が無かった・不備だった」、というのは当事者がとうの昔から知っていたはずだから、内部監査で見過ごしていたとは考えにくいし、普通のISO審査であればプロの審査員が気がつかないはずが無い。(もっともっと細かい指摘をしている事例がたくさんある)
もし「内部監査で見過ごし」、「審査で見過ごし」、ということであったとしたら、ISO審査もISO内部監査も無力であったことになる。また内部監査で何を解決すべきかを指示する役目を持つ経営層も、その役目を果たしていなかった、としか思えない。
どこでもということではないが、「不適合が見つかりそうな所には、審査員を行かせないようにする」のがISO事務局担当者の腕(役目)だ、などと冗談まじりの話しもまれにあったりするが、この事業所の場合はどうだったのだろうか。(8年近くも洗浄をしていなかった、という事実が放置されていたらしい)。
「Q:熱交換器の洗浄の手順はどうなっていますか? Q:その手順で十分安全が確保できますか? Q:その手順の効果についてはどのように見直しをしていますか?」、という監査質問がなされていれば、こんな重大な事故にはならなかったはず。
残念ながら、ISOの仕組みが機能していない典型例かもしれない(ISO認証取得有無の状況は不詳だが。ちなみに同社の多くの事業所はほとんどISO認証登録済み)。
群馬県の食品工場での農薬混入事件よりも、ISOにとってはかなりの重大事件と言うべきだろう。
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